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玉川上水を歩く(序章) [玉川上水を歩く]

突然、なんの脈絡もなく「玉川上水」を歩いてみたいという衝動に駆られるようになった。
以前、多摩川の河口から源流まで辿るツアーに参加したことがあった。
それは、2012年の12月から2013年の6月まで11回に分けて歩いたものだった。
その時に、玉川上水が引かれた羽村の堰に通りかかったことがあった。

羽村市観光協会のパンフレットによると、玉川上水は江戸の発展に伴い人口が増え、水不足が深刻になった。
幕府は上水建設を決定し、その事業を庄右衛門・清右衛門兄弟に工事を請け負わせた。
工事着手から8か月後には約43㎞の上水路が完成した。
庄右衛門・清右衛門兄弟は褒賞として玉川の姓と帯刀を許され武士の身分に取り立てられたのです。
東京都水道局は玉川上水の一部を今でも利用しているとのことです。

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羽村堰に建つ玉川兄弟の像。


この玉川上水を終点から遡行してここ羽村堰まで歩いたらどうだろうか?
ネットで調べてみると玉川上水散策コースなど参考資料が結構ある。
全長45キロを一日で歩き切った人がいたのにはびっくり。
詳細なレポートや、わかりやすい絵地図など参考になるものを収集。

よし! 歩いてみよう!
この距離から考えると8回から10回に分けて歩くのが妥当だろう。
早速、新宿御苑の四谷大木戸から笹塚駅までの約5.8キロに挑戦だ!
支度をして一歩外に踏み出すと最高気温35℃という思わず後ずさりするような猛暑!
電子レンジに放り込まれたような気分だ。
こりゃだめだ、熱中症になること間違いなし。
やめた! こういう時の決断は早い。

家の中に引き返し思案する。
そうだ、今日のところは起点の羽村堰を先に下見してみよう。
羽村なら都会より涼しいだろう。

ってなわけで、この日は計画変更「玉川上水散策」計画の序章となった。
川崎から立川を経て青梅線に乗り換え羽村まで。
駅前に羽村堰まで900mの案内看板が。
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この先にある羽村市観光案内所に立ち寄り地図やパンフレットを頂く。
しばしの車道歩きをしていると見えてきました「羽村堰」が。
多摩川の本流から枝分かれした玉川上水が水門から勢いよく流れている。
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広場には東屋やベンチがあって小休止に最適。
涼しいし、計画変更して正解だった。

対岸には羽村市郷土博物館があるが、見学は次回にすることにした。
この後、車道を福生駅まで歩き、家路に着いたのだった。

もう少し涼しくなったら、四谷大木戸のスタート地点から歩いてみよう。
それまで、資料の読み込みをしておこう。

ホントに歩けるのかよ?

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アロハマンダラーズとにゅうおいらんず [雑感]

浅草演芸ホール7月中席の大喜利「アロハマンダラーズ」と、
同じく浅草演芸ホール8月上席、噺家バンド「にゅうおいらんず」を観てきた。
夏場恒例の見逃せないイベントなのだが、今年は3年ぶりのお出かけとなった。

アロハマンダラーズ。
例によって新山真理さんの毒舌を交えた巧妙なMCで始まったハワイアン演奏。
落語より歌がうまいと自負する桂夏丸さんは歌とパーカッション。
ロカビリーならぬリハビリ中の春風亭小柳枝師匠と三笑亭可楽師匠がゲストで出演。
ご両人、身体が不自由な中、得意の歌を披露してくれた。


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そして昨日行ってきましたよ猛暑の中、浅草演芸ホール上席へ。
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場内はほぼ50%の入り。
若いお客さんが目立っていた。中には数人の中学生がいた。
中学生の子は終始、寿輔師匠にいじられていた。かわいそうに・・・。

ドラムの高橋徹さんはプロのジャズドラマー。
この度、高橋さんは初のリーダーアルバム”TOKYO GROOVIN‘HIGH!”を発売。

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このCDでは、スペシャルゲストとして三遊亭小遊三(Tp)春風亭昇太(Tb)が演奏に加わっている。

この日のステージでは音曲の桂小すみ師匠がピアノ担当。
この小すみ師匠絶対音感の持ち主なのだそうだ。凄いね。

噺家バンドとはいえプロの演奏家も交じって感動のステージを届けてくれた。
年々、上手になってくるにゅーおいらんず、来年も楽しみだ。

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飯は黙って喰え [雑感]

以前、ある新聞に「飯は黙って喰え」と題した作家の安部龍太郎さんの寄稿が載っていた。

子供のころに「飯は黙って喰え」と父親から叱られた時代があった。
一家団欒という言葉もあるように食事は楽しく会話しながら食べたほうが楽しいに決まっている。
しかし、コロナ禍に遭遇してみればあれは感染予防の知恵だったのではないかと思い当たったというのだ。

スペイン風邪以来100年ぶりという疫病の大流行を経験し、これまで災害や疫病が人類に与えた影響が時代とともに徐々に生活様式を変えていくことになってきているのではないか。
禅寺の僧を例にとり、食事は無言で食べる。箸を使い手づかみでは食べないなどの対策が長い年月を経て庶民の生活に浸透していった。
それが律儀に守られ雷おやじの「飯は黙って喰え」につながってきているのではないだろうか。

また、扇子の使用にも感染対策に通じるものがあるという。
人と話をするときに扇子を半開きにして口に当てて内緒話のように話すことがある。
これも感染予防の知恵だったのだ。
食事の際はマスクをつけたり外したりするのは面倒だ。
扇子を口に当てて食事すれば不便がない。
大意、こんな内容の記事が紹介されていたのが印象的だった。

今になって”黙食”などという言葉が言われてきている。
子供たちの学校給食風景を見ても誰とも喋らず黙々と食べている。
複数人で酒を飲みながら歓談する、これもNGなのだ。
「飯は黙って喰う」これがこれからの生活様式なのだ。


そんな中、マスク会食などという食事様式が勧められている。
食べ物を口に入れるときはマスクを外し、食べ終わったらマスクをつける。
これを何度も繰り返すのだ。そして決して喋らない。
なんか食べた気がしない。


そこでマスクの代わりに扇子を使う。
時代劇でよく出てくる悪徳商人と悪代官の会話に使われるのがこの扇子だ。
差し出された山吹色のブツが入った菓子折りを見て。
「これ近江屋、おぬしもワルよのう」
「いえいえ、お代官様の足元にも及びませぬ」
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もちろん、悪だくみではなく食事や会話に使うのだ。
飛沫感染を防ぐため、扇子を口に当てての食事はちょっとオシャレかもしれない。

(イラストはフリー素材集サイトからお借りしました)

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